なにものかに責任を負うとき、全体性の網に破れが生じ、わたしは、全体の一項であることから抜け出しうる。そして、そのことが<わたしが存在する>ということなのである。
貫成人「哲学マップ」
なにものかに責任を負うとき、全体性の網に破れが生じ、わたしは、全体の一項であることから抜け出しうる。そして、そのことが<わたしが存在する>ということなのである。
貫成人「哲学マップ」
「もう川の水を飲んだのだろう。おまえが行動すれば、それに合わせて関連性が生まれていく。ここはそういう場所なのだ」
村上春樹「騎士団長殺し」
2020年11月~2021年1月に着金した代理人費用の2%を以下の団体又はプロジェクトに寄付致しました。
・国境なき医師団 日本
・認定NPO法人 フローレンス
・岩手県陸前高田市
・熊本県水俣市
ご協力ありがとうございました。
ニーチェによれば、落ち着いた人間の心のうちには「深い泉」があって、そこに石が投げ込まれても、その底に達するには時間がかかるという。そうした人は、端から見れば、反応の遅い、退屈な人と見えるのだが、そうした人こそは、外からの刺激を深く受け止めて、よく考える人なのである。
渡邊二郎「自己を見つめる」
考えてみれば、生きているということは、まだなすべきことを残しているということと同義である。なすべきことがなくなった人生は、死と同義である。
渡邊二郎「自己を見つめる」
一年の行が終わったからといって気を抜けば、次の年は歩けません。気持ちを切らさずにさらに鍛錬を繰り返していかなければ、いざ歩こうとしても足が出なくなってしまうのです。
前十二年籠山比丘 宮本祖豊 師「覚悟の力」
2020年8月~2020年10月に着金した代理人費用の2%を以下の団体又はプロジェクトに寄付致しました。
・国境なき医師団 日本
・認定NPO法人 フローレンス
・宮城県東松島市
ご協力ありがとうございました。
ヒトは自分に必要なアミノ酸を自分の周囲の環境から捕食により取り入れることにして、その合成のための代謝系を放棄してしまったと考えられる。つまりヒトは自己の維持に必要な代謝系の一部を外部環境に依存しており、決して自己完結していない。
中屋敷均「ウイルスは生きている」
医となりて医学をこのまず、医道に志なく、また医書を多くよまず、多くよんでも精思の工夫なくして理に通ぜず、あるいは医書をよんでも旧説になずみて時の変をしらざるは賤工なり。
貝原益軒「養生訓」
それは「きれいごと」だろう。だが、きれいごとを欲望し、追及することから始めなかったら、なんのための事業なのか。
阿久津隆「本の読める場所を求めて」